見えなくてもあるココロ

ゆず

人と会話していても
本当にそんな風に思ってんの?
って
どうせ表面で言っているんでしょ!?
って思っていました。

「ありがとう!」とか「感謝」とかいわれるとむず痒かったの。

でもね、
幸せを感じられるようになってくると
ありがとうーって受け取れるようになって。

ゆず

周りの人たちが
自分のできることをやってるよなぁとか
タイミングよく声かけてるなぁとか

挨拶を交わさないような人たちにも
あの人も誰かのためになっているんだよなって

見えてきました。

取り残されている気がしたり
こんなにやってるのに、と
どうして?どうして?というときは

拗ねて
自分を特別にしてたんだよね。

嫌われるかもとドキドキして

差し障りない表面的な・・

言ってることと
思っていることが違っているのは

わたしでした。

*****

なぜ?どうして?とは
相手にベクトルを向いているようで

疼いているのは

その時、置き去りになっているのは・・・

・・・

自分のココロ

*****

目を閉じて
いま、なにを感じてる?

・・・

置き去りなのは

ココロです。

・・・

そこにあるのが

怒りや、苛立ちや
悲しみであっても
悪者ではなく。

感じるココロ、体感は
無意識の領域にあり

無意識の領域は
90パーセントとも95パーセントとも
言われています。

無意識の領域のココロは

わかってもらいたくて
その時をずっと待っているココロ

そこをわかるだけでも違う

*****

その悲しみ、その悔しさ
やり場のないいらだち・・・

あるものをないことにはできません。

怒り、悲しみ、寂しさ
ネガティブな感情は
悪者ではありません。
すべて大事なココロです。

が、

扱いにくいココロであるから

抑えがちなのだけど。

自分がわかってあげることはできます。

頭で感謝するのではくて。
↑日本人はしがちです。
いい人を演じているとしがちです。

とりあえず感謝は置いて

ココロに気づいて

で、ほんとうは誰に言いたいの?って。

意識を自分に向けて
毒づく自分に寄り添う。
毒づいている自分に気づくだけでもいい。

こういうことは
積み重ねることが大事。

お一人でできないときは
ご一緒しますよ。

*****

冬至の昨日
2017年を振り返っていました。

ゆず

表面じゃなくて
いること、語ること、聞くこと。

あーーーーーーっ、

繋がりに
ご縁に感謝です。
ありがとう✨